2009年11月2日月曜日

補遺 岐阜出身特定下宿屋経営者追加 

高橋幹夫『「日本紳士録」掲載下宿屋等一覧
List of geshukuyaowners,Tokyo,1889-1944 from Japan Who's Who』に掲載している下宿屋経営者のうち、

以下、その後の調査で、新たに、岐阜出身と特定されました。

高橋幹夫

8頁 本郷Ⅲ 千代田館 水谷先次郎 水谷吉平 水谷藤吉

※『岐阜縣郷友会会員名簿』
 (『岐阜縣郷友会会報 昭和六年十二月』(岐阜県立図書館所蔵)巻末)等による)


12頁 神田Ⅰ三崎館 春田安太郎 春田満二

※『岐阜縣郷友会会員名簿』
(『岐阜縣郷友会会報 大正十五年十二月一日現在』(岐阜県立図書館所蔵))による)


18頁 牛込・早稲田・淀橋・戸塚(下宿屋名不明) 星田清次郎

※『岐阜縣郷友会会員名簿』
(『岐阜縣郷友会会報 大正十五年十二月一日現在』(岐阜県立図書館所蔵))等による)

関連書籍

『集合住宅物語』には、本郷の元下宿屋・現旅館、鳳明館も。
『東京生活 no.11』には、本郷の現役下宿屋「暁秀館」記事。
『ローマ字日記』には、本郷の下宿屋(現旅館、太栄館)で書かれた所も。
『本郷菊富士ホテル』は、文人らが集い住んだ本郷の高等下宿。
『鬼の宿帖』は、同ホテル創業者子息の回想。
『菊坂ホテル』『鬼の栖』は、同ホテルがモデルの漫画・小説。
『男どアホウ甲子園』には、作者水島新司もいた、本郷の下宿屋泰明館が(20巻178・204頁 21巻72・82・90・186頁 25巻118頁に看板 22巻142頁に玄関外観)。







正誤表 高橋幹夫『明治の団地 浅草玉姫町東京市公設長屋 The First Public Housing in Tokyo』


以下、誤りがありました。お詫びいたします。 高橋幹夫


4章 54頁 「収支報告と市長あいさつ」2行目

×「4月6日に締め切り」
    ↓
○「4月16日に締め切り」  
※読者の方からご指摘いただきました。ありがとうございます。

4章 「託児所」

86頁9行目 
×「託児場」がある(122)」 
             ↓      
○「託児場」がある(121)」

87頁4行目 
×「そのままになってしまった(124)」
                   ↓      
○「そのままになってしまった(123)」

87頁6行目 
×「「板張り」で(124)」             
           ↓      
○「「板張り」で(125)」


 
3章112頁(6)(13)・120頁(99)・121頁(127)・125頁(12)

×『日本任代都市社会調査資料集成1 東京市社会局調査報告書1』
     ↓
○『日本近代都市社会調査資料集成1 東京市社会局調査報告書1』



参考小冊子 【レンガの長屋 玉姫御殿】


正誤表 高橋幹夫『下宿屋という近代 Geshukuya,A Modern Age Tokyo』

以下、誤りがありました。お詫びいたします。 高橋幹夫

2章 53頁10行目
×「啄木は追い掛けたのですが追い着きませんでした」
       ↓
○「啄木は女中さんに追い掛けてもらったのですが追い着きませんでした」

注 121頁(8)
×「堀江亨・松山馨・高橋幹夫『日本の近現代における都市集住形態としての下宿屋の実証研究』」        
          ↓
○「堀江亨・松山薫・高橋幹夫『日本の近現代における都市集住形態としての下宿屋の実証研究』」


関連書籍等

『貼雑年譜』156-157頁に乱歩経営下宿屋の広告・平面図。
『屋根裏の散歩者』は、下宿屋が舞台。