■■■ 参照新聞記事一覧 公営仮設住宅「集団バラック」 関連記事 ■■■
■1924(大正13)年
2月18日 朝日 碑文谷に文化村 バラック民の為めに 日比谷署とも了解成って
2月19日 報知 日比谷のバラックは三月中に立退く 居住者自身の手で ヒモンヤに新住居建設着手
4月17日 やまと 住宅交換の紹介を始める 貸家はなし借手は多し 悩み抜いた紹介所で
5月27日 国民 バラックに対し家賃取立て 一戸当り一円五十銭 六月一日から
8月15日 報知 日比谷や上野のバラックを撤廃するために社会局が生活調べ
8月28日 時事 バラックの整理は愈々実行に決定 昨日社会局に於ける協議会
8月28日 国民 電話まで引いて集団バラックに頑張る 愈々近く市で一斉に調査して 図々しい居住者を立退かす
8月28日 日日 バラック整理 方針決定
8月28日 読売 バラック整理協議 昨日内務省社会局で
9月26日 時事 貸家を探して バラックを追ふ魂胆 持て余した市役所 市営住宅も大急ぎ
9月26日 国民 集団バラックの立退先を補助金を貰って探す 市郡を十二区に分けて大々的に 戸口調査の方法で貸家貸間調査
9月26日 朝日 市内外の貸家貸間大調査 バラック民移転の為め 十月中旬一斉に行ふ
9月26日 読売 集団バラックの為めに市で貸間貸家探し 警察と協力して派出員を出す
10月12日 報知 バラック整理に政府が手助け 住宅建築を急がせ貸家探しもやって
10月31日 国民 芝離宮バラック八百戸 今朝烈風中に焼失 全滅に近かき大惨状 罹災民三千、再築許されず
11月2日 時事 府下へ行くのは困る 離宮バラック民哀訴 市でも困るが絶対許さない
11月2日 増上寺からは追立てられ行場のない罹災民 芝公園の空バラック使用も市が断然跳ねつく
11月7日 報知 バラック民の引越先見付けに市の保護課が市外に貸家を探し廻る
11月19日 報知 「貸家貸間はありませんか」この特別紹介が非常に成績がよい 同潤会小住宅は不評
11月19日 朝日 バラック民の為に社会局が空家探し 既に千余戸も発見 借る者より貸す者の方が多い
11月25日 十二月二五日限りのバラック住民の運命 第一次の整理で立退を命ぜられる
11月25日 来二十日限り いやでも応でも 立退かされるバラック民(神宮外苑、芝離宮、小学校等)
12月4日 時事 家財は運んでくれる 毛布も三枚づつ分ける 集団バラック二千八百世帯に 二十五日限り立退き命令
12月13日 報知 厭でも応でもバラック立退 この二十五日限り 同潤会で二千世帯を収容
12月17日 時事 芝公園のバラック 今朝取壊す 住んで居る人驚いて「まあ待って下さいー」 市から人夫と警官
12月26日 国民 まだ立退かぬ集団バラック 来年一月迄延期して今度は愈よ取壊しする
12月26日 報知 てこでも動かぬバラック民 約半数の千五百世帯 また立退きを延期
12月26日 日日 年を越させて立退かせる 集団バラック
12月8日 報知 打壊さねば立退かぬ五百戸 集団バラックの整理に市の当局てこずる
■1925(大正14)年
1月8日 時事 バラック立退 強制は十六戸 期日まで全部片づく けふ調べてみた警視庁
1月14日 国民 バラック立退は完全に行われた 三千世帯が昨日迄に 残部の引払命令は四月頃
1月16日 時事 今月中に移転命令 日比谷三角 五月には全部引越して区整始まる 整理模範を見せたい復興局の力瘤
1月17日 報知 残るバラックの立退きを断行 花の四月をひかへて気をもむ当局
1月29日 時事 六千六百世帯に愈々三月二十五日限りで集団バラック撤廃命令
1月29日 国民 六千の世帯へ 一斉に退去命令 三月二十五日限り立退けと けふバラック民へ
1月29日 報知 花時までには 公園を復興 六千六百のバラックに最後の立退命令
1月29日 日日 三月二十五日限り バラック総立退き 社会局から命令通達 現在かバラック六千六百戸
3月4日 報知 春を待つ公園の装ひ 三年ぶりで清々した市民の遊び場となる 公園課がいろいろな施設
3月6日 日日 集団バラックを金の力で追立てる 市社会局の窮策
3月6日 時事 花時を控えた公園のバラック 今月中に六千世帯を愈々綺麗に片づける 金も貸さうと面倒を見て
3月19日 時事 バラックを退けて花を咲かそう 期限二十五日 多数市民の為めに心よく立退いて呉れればいいがと気を揉む警視庁
3月25日 時事 花に背いて春を追はれ バラックも明日限りの上野其他 二十円からの土産を貰って立退く
3月25日 報知 震災の幕閉ぢにバラック民の記念大会 市の催しで四月二十日日比谷に あす限り六ヶ所が撤退
3月26日 朝日 まだ残る集団バラック 其の数二千九百世帯
4月9日 時事 動かぬバラック二千 五月中には必ず
4月9日 報知 貧民街を食止める出世村の施設 七年間収容して一本立に 市が三百五十万円で計画
4月9日 日日 貧しき一千世帯に「出世村」の福音 市が七ヶ年計画で 細民収容所
5月16日 報知 バラック民が思ひ出の会 この九月一日日比谷へ 十数万人が集まって スイトンを食ひながら観劇
6月12日 報知 古石場のバラック村に悲惨な人々の群 一人一日の生活費が二十銭 出世村の行悩に思ひやられる将来
6月27日 国民 集団バラックを引払った懇親会 思ひ出深い日比谷で
8月28日 朝日 思設けぬ三百万円で同潤会の大計画 鉄筋三階のアパートメント 八百戸を建設して 貧民街を一掃する意気込み 市では更に新しい出世村 頂戴した六十万円で深川古石場に 近く具体案を決定して
8月29日 報知 古石場の二千人に救ひの金三十万円 方面委員が奔走して一本立ちにさせる
8月29日 報知 市が細民のため使ふ 思ひがけない六十万円 古石場哀れな人々の救助と公設質屋の新設
12月22日 読売 一日二十三銭が住む住めぬの境 二十四銭の生活者は家を失ふ 深川古石場の集団バラック 立退き問題
■1926(大正15)年
10月7日 朝日 取払う古石場 残る四十五世帯 その二百五十人が社会局の苦労の種 他に住宅を建て収容か
■1927(昭和2)年
2月17日 読売 古石場の罹災民百七十に内務省の立退厳命 震災後電燈や水道料は無料 食費まで給されていた連中 市社会局板ばさみ
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